退屈、暇ってなんだ。
こんにちは。
様々なところにコロナの影響がでていますね。
早く落ち着くことを願うばかりです。
今回は下の図のマトリックスで自分が今現在どこに位置しているのか、またそれをなぜそう考えたかということを皆の意見を交えて考えていきました。
まず、僕が出した答えは
②よりの①
というものでした。
僕が考えたことは今現在コロナウイルスの影響で学校までの移動時間やバイトの休業などが続いて何もない時間が多いため暇であると判断しました。そして、なぜ②よりかというと僕の中での退屈ということを考えたときに
何か熱中しているものがあるのか
という判断になり、一部熱中しているものはあるが、何か全力で熱中するものがないため②よりの①という結果になりました。
(けっして何もしてない超絶暇人というわけではないですよ..)
最近高校生活のことを思い出すのですが、部活の時は授業中であったり家にいるときもテニスのことばかり考えていたので、部活に熱中していたんだなと感じました。しかし今現在そんなに熱中できることがなくどこか空虚な気持ちがあります。
この意見を踏まえた上で、同じ番号、番号ミックスの二回に分けてディスカッションしていき、(①は一人だった...)まず、②の人たちと考え方を共有していきました。
最初に暇に対しての考え方は全員ほぼ同じ「時間がある」という認識でした。
そのため現在の状況だと暇があります。
退屈でないという意見を聞いてみると、課題や授業などのやることがあるため退屈でない、自分の好きなことに時間を使って満足しているから退屈でないというものでした。
やることがなく時間を持て余すこと
飽き飽きして嫌気がさすこと
この他にも様々なものがあり、退屈に関しては意見に違いはありましたが概ね主観的な印象が強いようです。
ここでマトリクスの左側にいる人たちの暇の定義がどうなっているのか という疑問がわいてきました。
想定では忙しい、やることがいっぱいということが挙げられましたが、
ここで他の番号の人も交えたディスカッションに移動。
ここでも暇の定義は「時間がある」というものでしたが、どのくらいの時間かということで意見が割れました。私が考えていた時間はバイト前の空き時間など1時間ほどの時間も含めていましたが左側の人は丸一日でありさらに、後のことを考えなくていい時間といった意見が出ていきました。時間という捉え方は同じでしたが感覚に主観的な違いがあったようです。
そして退屈という定義について話したところ興味深い意見が出てきました。
「何かをしているときに、他のことをしたくなる」
という意見です。
これを聞いたときにとても納得した自分がいました。
何かをしているときに他のものに気をとられるという状態は今していることに集中、熱中していないから他のことに気が取られて退屈と感じています。逆に退屈でないときは他のことなんて何も目に入らないことが多いです。
この他の人の退屈という意見を聞いて日常的なことが多かったのですが、私の退屈でないということに対して理想が高すぎるため皆との間に違いが出ているのではないかと気付きました。
いつもどこか完璧な答えを求めてしまう私の考えが関係していると思います。模範解答を自分の中で求めるこの考え方はあまり良くないと最近感じていて、自分で考え自分自身の答えを見つけていけるような考え方に変えたいと思っています。
最終的に「退屈」というものは何かをしているときに楽しんでいるか、満足しているかなどの充実の指数なのではないかという結論になりました。
ここでゼミは終わりで、
改めて「暇」について深く考えていきたいと思います。
ゼミの時間で「時間」という認識は皆一致していたように思えます。
しかし意見を聞いていく中で皆の感覚の中で時間的な側面がある一方、主観的なところもあるということがわかりました。
よく大学生がテスト前になると
「暇じゃないけど暇」
なんて言ってますよね。
これってテストまでの時間は迫っているという意味で
「暇じゃない」
でも気持ち的にはどこか時間があると考えているから
「暇」
っていうことだと思うんです。
こう考えてみると暇というのは一見、時間的な捉え方出歩けれど主観的な面が強く影響しているんではないでしょうか。
なので暇というものは自分の気持ち次第で作り出すことも、なくすこともできるようなものであると思いました。
暇いっぱい作ろう。
今回はここまで